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2004/06/12

『電車男』考III-消費と消化-

 現在、『電車男』を始め本サイトさんに掲載されている毒男ストーリーのスレッドは、2ちゃんねるでは全て絶滅しているそうです。その原因は(皮肉なことに、と言うべきでしょう)『電車男』の評判を聞いて毒男・毒女さん達以外の「余所者」が掲示板に流れ込み、荒らし行為をしてしまったためだったといいます。このため、『電車男』を愛する人々の一部(主に2ちゃねらーだと思います)は現在の大流行を快く感じていないようで、「出来ればそっとしておいてほしい」という発言をしばしば良く見かけるのです。
(純粋に物語に興味をお持ちの方は、以下を読まずにまっすぐ『電車男』の本サイトさんまで飛んでください。そして出来れば、いや必ず、『電車男』だけではなくて他の物語もじっくり読んでほしいと思います)

 例えば、自分の好きなミュージシャン(ややインディーズ寄り)が、ドラマの主題歌を歌ってメジャーストリームに躍り出た。有名になったのは嬉しいけれど、一方で知ったかぶりをするにわかファンやらパパラッチやら芸能記者やら、雑音が沸いて出て純粋に楽しめない。当のにわかファンやらパパラッチやら芸能記者が必ずしも皆、下心や悪意を持っているとは限らない、というところがまたややこしい。僕はTMネットワークのファンだったので、「Get Wild」ヒットしたときは心中複雑でしたさ。閑話休題。

 これがとても普遍的・一般的だけれど、それだけに難しい問題かなっていうのは、少し考えれば僕らの身近にいくらでも見出せることです。多分『電車男』でも、「自分達の場所から生まれたもののために、自分達の場所が荒らされる」って感じた2ちゃねらーの人、多かったのではないかな。

 もともと日本人って、流行ものを育てるって意識が少ないと思うんですよ。苦手というか。じっくりきちんと消化したらちゃんと「文化」になるのに、われもわれも食い散らかして消費しちゃうから、10年も経てば「あ、そんな人いたねぇ」で終わりになっちゃう。

 ただ、最近の60s'とか70s'の再発見(昭和歌謡とかレトロ物件とかクラシックカメラとか)に見られるように、ただつまみ食いするだけじゃなくて「自分にとってこの物事が近しく・親しく感じられるのって何でなんだろう?」と考える人達って、少しずつ増えているような気がします。『電車男』でも、ただ感動したとかありえないから気持ち悪いとか、そーいう上っ面なとこをすっ飛ばしてきちんと自分の中での位置づけをする方って結構多いと思うんで、その流れがもっと大きくなってくれればな、と思います。
(この項続く)

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