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2004/06/28

溜まり場としてのweb。

 僕自身、webで活動を始めたときからずっと考えているのが「webは私だけの場ではなく、公の場、かつヤド的な溜まり場である」ということ。
だからこそ己の立ち居振る舞いを気にかける必要がある。

 お互いの足りない部分を補うつもりで相手の意見を聞けば、または思いもよらない考えに接して面白がることが出来れば、自分自身はもとより相手をも豊かにし、知恵の引き出しを増やすことが出来る。
 逆に天動説よろしく自己中心な考えを口に咥えて持ってくれば、あるいは丸呑みしただけの知識をひけらかしていては、犬の喧嘩にも劣る争いが生まれるだけだ。

 ただ、これは個人の心がけも大切だけれど、民族古来の文化も多分に影響するような気がする。例えば、景観や公園など、公共の場所に対する考え方、あるいは知識の共有といった問題へのリアクションが欧州と米国と日本ではまったく違うことからも明らかだろう。それは公の思想と私の思考、法と慣習、市民と世間、といった古くて新しい論説が絡み付いている。

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コメント

トラックバックありがとうございました。
なるほど、確かに風習も深く関わってきますね。その点は抜け落ちていました。
環境や教育によって育まれるもの(その人のバックボーンとでも言えばいいでしょうか?)はとても大きいですから。
新しい社会基盤であろうウェブでも、そういった文化形成ができることが、一番なのでしょうが……。

投稿: ひいらぎ | 2004/06/30 00:50

ひいらぎ様;
ご来訪&トラバ返し感謝です<(_ _)>

言葉と溜まり場(というか言語と集う場)、
この2つの「ば」が鍵になるのかな、という気がします。
言葉・言語はもとより、その人の思想思考をあらわすものですから、
僕は作者(表現者)と作品は不可分だと思っています。
公としての集う場…public spaceは、例えば自分の家を
「俺んちだから俺の好きなように増築する!」と考えるか、
「俺んちだけど周囲の景観との調和も考えなくちゃナ」と認識するか、
これは個人差というより文化の差が大きいような気がするのです。

特にwebは、一見自分のPCで完結しているように見えるし、
表現の加減乗除も簡単だからこそ、難しいところですね。
stand aloneではなく広大な電脳の海へダイヴしていること、
自戒とともに肝に銘じたいところです。

投稿: ぱこ-Paco- | 2004/06/30 02:01

こんにちは。おさんぽです。

webは「公道」だと思っています。
サイトは「公道の横に立っている掲示板」です。
つまり、サイトで発言するということは、「公の場で発言」
することであり、責任というものが生まれると思うのです。
webでも実生活でも、発言の本質は何も変わらないし、
だからこそ気をつけなければならないんじゃないかなーと…
顔が見えない文字だけだから、言葉には気を配りたいなと思います。

リンク確認しました!ありがとうございます!
こちらからもリンクしましたので、今後ともぜひぜひ
よろしくお願いします(・e・)

投稿: おさんぽ(・e・) | 2004/07/02 10:11

おさんぽ様;
ようこそいらっしゃいませ&リンクありがとうございます<(_ _)>
こちらこそ、今後ともよろしくです♪

webが公道だという考え方、僕もまったく同感です。
公道で裸踊りするとやばいってなもんで(しょーむない例えですが(^_^;;)、
webで好きなこと全てをやって良いわけではないよな、
というとこは普段の生活と変わらないと思います。

ただ、weblogとか2ちゃんとか見ると、
サイトの役割というのが「公道横の掲示板」からさらに発展して、
「色々な道に通じる、街中の広場」になってきているんでわないかと。
広場に集ったとき、人々はどう考えて何やるんかな、
ってのが興味ありますねー。

投稿: ぱこ-Paco- | 2004/07/02 22:56

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